世界13カ国を夫婦で貧乏旅行した時の世界一周旅行記。帰国後は登山と自転車のことなどを中心に。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

リベルダージの東洋人街、日系移民

サンパウロはリベルダージ東洋人街の画像
サンパウロの東洋人街

ポルトガルからの飛行機は1時間遅れで17時頃にサン・パウロに到着。

飛行機上空から地上を眺めると、東京に勝るとも劣らない高層ビルの群。「すっげー!東京と変わらんじゃないか!」と思わず感嘆の声を上げる。しかし空港に着いてみると、何だか明かりが暗くひっそりしている。建物の作りも装飾が少なく簡素な感じ、というか貧乏臭い。まるで日本の地方都市の空港のようで、先ほど見た高層ビル群のイメージと全然繋がらない。ブラジル空港は赤字経営だと何かで読んだか聞いたかしたけれど、そのせいだろうか。

空港から外に出た後は、安全面を考えてチケット・タクシーを拾ってホテルまで向かう。僕らの泊まる「万里ホテル」は、リベルダージ地区と呼ばれる東洋人街の目抜通りにある台湾系のホテル。30分ほどかけてタクシーが街の中心部に差し掛かり、リベルダージ地区内まで近づくと、赤い柱に提灯の形をした外灯が道路の両側に等間隔で並んでいる様子が見えてきた。更に奥へと入ると、入口に大きな鳥居の構えた橋が現れた。タクシーの運転手が、これは大阪橋と呼ばれているものだと教えてくれた。

橋の下を見下ろすと、大きな幹線道路が遥か向こうまで続いており、渋滞した何百台もの車のランプが道路を赤く染めていた。コルカタで見た以来の大渋滞。ポルトガルで古き良き町並みに見慣れていたせいもあり、この大渋滞の光景に強い印象を受ける。東京で嫌と言うほど見慣れていた大渋滞の景色も、少しの期間見ていないだけで、珍しいその国の特徴の1つとして目に映るようになる。

東洋人街はガイドブックに書かれている通り、完璧な日本の風景がそこに現出しているのかと思っていたのだが、実際ここに立って感じた印象はちょっと違う。確かに日本語の店が軒を連ね、多くの東洋人が道を歩いているのだが、日本の持っている独特の落ち着いた感じとは異なり、そこに中国とブラジルのエキスが混じった独特の雰囲気を醸し出しているように思う。辺りにいる人たちも目視する限り、東洋人5:白人4:黒人1の割合。

それから、このあたりの殆どの店には日本人らしき店員さんがいて、途中までは日本語で会話をしてくれるのだが、会話の途中で突然ポルトガルに切り替わることが少なくない。その感じはそう、TVで2ヶ国語放送を切り替えた時の感じに近いかもしれない。役者の表情は全く変わることなく、ボタンを押すと同時に他国の言語がスピーカーから流れ出したみたいなのだ。見た目は完全なる日本人でありながら、真顔でベラベラベララララッとブラジル語を話しかけてくる時のインパクトは強烈である。

ホテルで一休みした後は適当に東洋人街をブラつく。土産物屋に入り、ブラジル人のオヤジが巨大なカエルを持った写真のプリントされたポストカードを購入。その際、店員の中国系のおっちゃんに「Do you have stamps?」と聞いたのだがうまく通じず、日本語で「切手ありますか?」と聞いたら、「切手、ないよ」と普通の顔をして返された。その後、おっちゃんの会話は突然ブラジル語に切り替わり、「〇#**@+÷??%$」と何やら僕に話しかけてきているのだが、何と言っているのか分からない。

手話ならぬ顔話を用いて表情から察するに、何となく、切手は郵便局で買うべしと言っているように思えたので、「シン、オブリガード(はい、ありがとう)」と返答。彼らは日本人なのか、中国人なのか、ブラジル人なのか。そして日本人だとしても2世かもしれないし、3世かもしれない。この感覚が日本語でスムーズに会話することを邪魔して、自分が日本語で話す際にも、うっかりするとテニヲハがおかしくなりそうになる。

日系人がブラジルに苦労して立てた大阪橋の画像
サンパウロ 大阪橋からの眺め

夕方、商店でビールを購入すると、東洋人のおばちゃんに「日本人?2世かい?それともツーリズモかい?」と真顔で聞かれた。この真顔で「あんたは2世?」と尋ねられる場面に、1日の間で何度となく遭遇した。実際、東洋人街をうろついていても殆ど旅行者を見ない。僕らは世界一周券の制約上、一端サンパウロを経由する必要があってここに来ているのだが、そうでない人は、特に目立った観光名所もなく、様々なメディアで「充分注意」と安全面を注意喚起されたこの街を訪れることはないのかもしれない。

この街で古本屋を訪れてみても、旅関係の本が殆どないことからもそれは分かる。カトマンズ、ヴァラナシなど多くのバックパッカーが訪れる街では、古本屋の書棚に多くの紀行書やガイドブックが並んでいるが、ここには極普通の文庫や雑誌、それから語学の本しかない。更に価格も日本の3~4倍するから、貧乏旅行者にはとても手が出るものではない。

気楽な気分で「バカの壁」でも買おうかなと本を手にとって、本棚に貼り付けられた円とレアルの料金変換表を見たら、2千数百円もすることに気づき、慌てて元の場所に戻したといった具合だ。よけいなお世話だけれど、ネット書店で直接購入した方が種類も豊富だし、すぐに届くんじゃないか(ブラジルの書店には3ヶ月遅れで新刊が届くらしい)。

夕食は中華の店で。中国系と見える店員さんに向かってメスダルが「しろごはんありますか?」と日本語で聞くと、「はいよ」との返答。しかし彼はその後、中国人のお客さんと中国語で会話していたので、何人なのだか分からない。僕達の座っている席の横には5人の日系人らしきお年寄りが座っており、ビールを飲みのみ盛り上がっている。

その内1人の婆さんが、「50、60はハナタレ小僧、70・80で働き盛り、90・100がお年寄り」とかなり強めの口調で喋っている声が聞こえた。何となく、僕らに聞こえるように言っているような気もする。続けて別の爺さんも「むかしゃ人生50年なんて言ったもんだ、今は寿命も延びて、まだまだこれからだよ」と言ってい。

その直後、店のドアが開いて中国系のお客さんが入ってきたかと思うと、先ほどの婆さんがブラジル語で挨拶を交わし始めた。なんなのだここは。みんな翻訳用アンドロイドじゃないのか? ついでに電気羊の夢でも見ちゃうんじゃないか?ってな感じ。店を出ると、電柱の陰の暗がりに日系人の婆さんが立っており、曲がった腰を後ろ手で支えながら「焼き芋いかがっすかぁ~」と呼びかけてきた。

ホテルに帰ってフロントにあるブラジル版日経新聞を読む。見出しが面白くて、例えば「フォト・ド・イグアス 滝がある町の日本人会」。「マリンナで全将棋名人戦」「ネグロ川上空でパニック 恐い!機体落下の連続」などなど。最初の記事は、すき焼きを売った収入を財源にイグアスに住む日系人達が日本会館を建設しようとしていることを取り上げたもの。

すき焼きをブラジル向けの味付けにするのに苦労を重ね、ついに今の味に落ち着いたというインタビューが掲載されていた。後の方の記事は、カナダ軍用機のお下がりのイモムシ型飛行機が、ブラジルのどこかへ行く際に、何度も機体をエアポケットに突っ込んで、ジェットコースターのように上下降を繰り返したという話。

そういえば明後日僕らが乗る飛行機は、新しくできた航空会社の運行する小さな機体のやつじゃなかったか。新聞の記事と重ね合わせて考え始めたら凄く恐くなってきたので、メスダルにもその記事をムリヤリ読ませて恐怖心を共有してもらう。案の定、メスダルは物凄く恐がっている。

その他の気になった記事は、「いよいよアマゾン地域でもYOSAKOIソーラン祭りが開催される」「安部首相に変わってから日本でカタカナの氾濫が見られる」などなど。どことなく日本への愛情が含まれつつ、日本では有得ないくらい記者の個人的な感情に溢れた文章が非常に面白い。もし日本でこの新聞が買えるなら、僕は定期購読しても良いくらいだ。

そうそう、1つ大事なことを書き忘れた。その新聞の記事に、「世紀の旅行家 岡田芳太郎の謎」というものが掲載されていた。この人は自分の名刺に「世界徒歩旅行家」と記し、1906年から30年以上もかけて、南米を中心に世界各地を徒歩で旅を続けた人なのだそうだ。1906年といえば明治時代ではないか。

最後はレジストロという土地で客死したらしいのだが、それにしてもこの時代に岡田芳太郎という人がどんな物を見て、何を感じたのかは非常に興味深い。新聞には上半身の写真も載っているのだが、ベトナム人の兵士が被るような丸い帽子に、鎖骨まであるような白ひげを蓄え、目には丸眼鏡、サファリ用のシャツの上からコートのような着物を羽織り、背中には寝袋か何かのような物、といった井出達。

かなり怪しい格好だけれど、これぞ旅人といった雰囲気も写真から滲み出ている。因みにこの人の日記がブラジル日本移民資料館に保存されているらしいので、もし可能であれば見せて頂きたいと考えている。日本にこのような人がいたということだけでも、自分が今後も旅を続ける上での強い後押しになる。

明日はブラジル日本移民資料館というところを訪れ、岡田芳太郎について調べると共に、かつて日本からブラジルに渡った人達、そして今ここに住む日系人達の歴史について学ぼうと考えている。浅はかな知識なので違っていても大目に見てほしいのだけれど、たしかかつて日本は、人口を減らす目的でブラジルへの移民を推奨したが、いざブラジルへ渡った人が日本に帰ろうとした際に拒否した歴史がなかっただろうか(違うかも)。

それから日本だけではなく、ポルトガルも昔、ブラジルに於ける黒人の奴隷制度を廃止する代わりに、その換わりの労働力として移民を募ったという過去があったように記憶している。この街を歩いていると、「一体ブラジル人ってどんな顔だったっけ?」というくらい様々な国の特徴がごちゃ混ぜになった人達が歩いていて驚かされるけれど、きっとそこには複雑な理由が含まれているのではないだろうか。その理由を少しでも知ることができればと思う。

次の日記へ

 
スポンサーサイト

コメント

移民

メスダルさんへ
三川のおばあちゃんの親戚の人も昔ブラジルへ移民しました。
沢山の家族でとった写真を送ってきていたのを思い出しました。
元気で旅を終えて 元気で帰ってきてください。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://toriiro00.blog62.fc2.com/tb.php/61-0201d4e7

 | トップページに戻る | 


※ご感想・お問い合わせ:dogra11@hotmail.com
※当ブログはリンクフリーです。You can link to our page without permission.
※当ブログ内に掲載されているすべての文章、及び、画像の無断転載、転用を禁止します。すべての文章は日本の著作権法及び国際条約によって保護を受けています。 Copyright 2006-2007 Keisuke.Izumi. All rights reserved. Never reproduce or replicate without written permission.(darukoro douchu)

コンテンツ

移動ルート
旅の写真集 【NEW】
過去の表紙 【NEW】

旅のオモロ動画集

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。